水倉舞子
ピアノとの出会い
「女の子にはピアノを」という、若い母の望みから三才頃ピアノと出会うことが出来ました。
初めての先生は音大ご出身ではないけれど、ピアノが好きで長年教えてこられたというご年配の優しい先生でした。レッスンの、穏やかな空気を覚えています。
情操教育としてピアノに触れさせたいと望んでいた母も、その先生のゆったりとしたペースに安心して習わせられたそうです。
今、私が音大出身でなくピアノを教えていることを考えると、不思議なご縁を感じます。
福岡県の田舎で元気に子供らしく遊び回る生活の中で、特に発表会も人前で弾く機会などもありませんでしたが、ピアノを弾く時間はいつも楽しいものでした。
東京への引っ越しと転校
小学校三年生の夏、父の転勤で東京へ。突然の大都会での生活への変化でした。
ピアノレッスンは、音大ご出身の練習曲を地道に進められる先生に変わりました。
レッスンや教本に何となく硬い雰囲気を感じながらも、ピアノを弾くことは変わらず楽しく順調に教本は進められました。
忘れられないのは、一年経つ頃の、私にとっては初めての発表会のことです。
曲はブルグミュラー18の練習曲の「泉」。
初めての舞台での演奏は普段の練習とは全く感覚が違い、弾きながら驚いていました。
何度も練習してきた曲がその時初めて出会う曲のように感じられ、ただ音楽が身体の中から流れてくるような、不思議な感覚でした。
よく分からないままに気持ち良く、満ち足りた気持ちでした。
今もとても良い体験が出来たと思います。
けれど、その後レッスンが進む一方で、段々と何か上手く弾けないと感じるようになってきました。
レッスンでは詳しいテクニックや表現方法の指導はなく、ただ間違えずに弾けたら合格という感じで進められました。
東京では難しい曲を上手に弾く子たちがたくさんいて、田舎でのんびりと楽しんできた自分との違いも感じるようになっていました。
ピアノを弾くこともレッスンも変わらず好きでしたが、この頃から、ピアノを弾きずらく、そして自分の出す音が何か心地悪く感じられてきました。
私は、元々指がよく回ったり、飲み込みよく器用なタイプではありませんでした。
そして小さい頃から天真爛漫だけれど、人前ではあまり自己表現が得意ではなかったようです。
家の中は温かでいつも元気に過ごしていましたが、学校の同級生には中学受験を控えた子たちも多く、空気が常に張り詰めていました。そんな環境も、のびのびとピアノで表現するということを妨げていたのかもしれません。
翌年の発表会では前年のような感動もなく、演奏に何か楽しさがないと母も感じたとのことです。そして、五年生の時一旦レッスンを終えることになりました。
ピアノの世界の広がりと悩みが深まった中高生時代
中学高校では、それぞれ新しい環境で新しい友達もでき生活範囲も広がり、勉強したり遊んだり様々なことを吸収して過ごすことが出来ました。
ピアノは中学一年生の時、今度はいろいろな曲を弾かせてくれるという先生が見つかりレッスンを再開できることに。
細かい注意点や曲のイメージを伝えてくださるレッスンで、有名な名曲を弾けること、また一つひとつの曲の広がりや奥深さを発見し多くの感動がありました。
高校に入っても、忙しい勉強の合間にレッスンに通い続けました。
この時練習した曲や感じたことは、今も良く覚えています。
多感な時期に、このような出会いに恵まれたことをとても有難いと思います。
ですが、同時に先生の言われるように弾きたいけれど出来ない、と思うことも多くありました。
小学校時代から感じた弾きずらさと、音の心地の悪さはそのままで、さらに、どうしたら弾けるようになるのだろうという悩みになっていました。
受験期に入り再びレッスンはお休みとなりました。
大学入学を機に北海道へ
将来の進路は看護師と決めていました。
子供の頃から大きな病気もなく、明確なきっかけがあったわけではないのですが、いつからか人と関わりお役に立てる仕事、白衣の天使のイメージに憧れていました。
漠然と、健康な人も病気や障がいを持っている人も、同じように生活が出来る社会になったら良いなという思いも持っていました。
大学受験の時、父が今度は北海道の室蘭へ転勤。
元々自然の中や田舎の方が好きだった私は、東京での生活に息苦しさも感じており、広々として自然豊かな北海道に住んでみたい!と、札幌の大学を受験、無事に合格し移住となりました。
両親と離れ、初めてピアノとも離れる生活でした。
大学生活は課題や実習に追われ忙しかった中でも、北海道での生活は望んでいたようにゆったりと雄大な空気を感じられ、あちこち旅行やお散歩へ行き、時々実家でピアノを弾くこともとても楽しみでした。
看護師として病院勤務
大学卒業後、憧れてきた看護師となり病院で忙しく働く生活が始まりました。
患者さんご家族と向き合い、出来ることを精一杯模索する中で心の交流が出来、ありがとうと言っていただけた時はやりがいや喜びも深く感じられました。
ですが、病院の仕事は激務で長くは続けられず、しばらく休養し復帰するという働き方をしていました。
ピアノは仕事を始めて直ぐ自宅に運び、数年後レッスンを再開しました。
趣味としていろいろな曲を楽しく教えてくださる先生で、久しぶりのピアノはとても嬉しく、発表会にも参加するようになり充実していました。
数年後、先生より「教えてみたら?」と全く思いがけないご提案を頂きました。
知識も経験もなく不安でしたが、「出来るよ」との先生のお言葉に背中を押され、看護師の仕事を半分続けながら始めてみることになりました。
看護師とピアノ講師としての学びの日々
それから、それまで趣味だった音楽の勉強が始まりました。
教える以上は自分がきちんと学びたいという思いと、更に弾けるようになりたいと思った時に、以前からの弾きずらさ、音の心地の悪さの課題がますます浮かび上がってきて、とにかくしっかり見直さなければと強く感じたのでした。
それまではピアノを弾く時の身体の使い方等を習ったことはなく、元々指が回ったり器用ではなかった私は、肩に力を入れて身体を緊張させて弾いていました。
そうして音も硬くなり自分自身も心地が悪く、十分な技術も身に付かなかったのです。
楽譜の読み方や解釈の仕方、理論も知らず、感覚で弾いていたので演奏に説得力も持てませんでした。
先生を変わり様々なセミナー等を受け、一から弾き方を変え少しずつ知識を増やしていきました。
自分を振り返ること、自分を変えることの大変さにぶつかり出来ないことに何度も悲しくもなりました。
それでも、年月をかけて少しずつ乗り越えられた時には大きな喜びを感じることも出来ました。
生徒さんとの出会い
生徒さんはいろいろな方が来てくれました。
まだよちよち歩きで小さな小さな手の一才のお子さま。
小さいながらもピアノを習いたい!という気持ちを固めて訪れてくれた四才のお子さま。
子供の頃習っていたピアノを娘さんと再開してみようというお母さま。
独立された子供さんが置いていったピアノで、憧れだった曲を弾いてみたいというシニアの方。。。
それぞれの思いを持って、レッスンを始められていることがいつもひしひしと感じられました。
小さなお子さまは、お母さまと一緒にリズム遊びなど。
お子さまのご成長を一緒に見つめ喜ぶことが出来、精一杯子育てに取り組まれていたお母さまは後に「私にも楽しい時間でした」と言ってくださいました。
一人でレッスンを受けられる小さなお子さまとは、歌もたくさん歌い、お母さまから学校でも大きな声で歌えて良かったと。
大人の方は楽譜が読めなくても、まずは身体の動きと指の使い方で憧れの曲を弾いていただき、演奏の楽しさを。
シニアの方は、初めて間もなくご主人に「CDみたいじゃないか」と褒められたと。
そんな生徒さんの演奏には、私も感動を頂く瞬間がたくさんありました。
演奏を通していろいろな経験を
発表会では、フルートやサックス、オーボエ、ホルン、声楽などの方にもゲスト出演して頂きピアノの枠だけでなく音楽を楽しんで頂く会の形で行っています。
始めは私の伴奏でゲストの方に演奏して頂いていましたが、小学校中学年では生徒さんと私と一緒に。高学年になると生徒さんお一人で伴奏出来るようになりました。
また、心身しょうがいを持つ施設の皆さまにも毎回ご出演頂いたり、生徒さんたちと合同コンサートの機会も作らせて頂くことが出来ました。
心身しょうがいを持つ皆さまの、純粋に音楽を楽しまれるお姿には生徒さんご家族も胸を打たれることも多く。
音楽がとても好きだけれど、演奏会などに行かれる機会はなかなか持てないというしょうがいを持つ皆さまも、生徒さんたちの演奏にとても喜んでくださいます。
他には高齢者の方の施設での発表会。高齢者の方は子供たちの演奏に涙を流されます。
看護師だったからこそ、そんな交流の場を作りたい。
そして、生徒さんに演奏を通していろいろな経験をして頂きたい。
始めからそのような思いを持っていました。
有難いことに多くの方のご協力を頂いて、少しずつ行うことが出来ました。
葛藤を持ちながら
一方で、自分自身は常に、もっと良い演奏、そしてもっと良い指導をと求め続けていました。
生徒さんには、私のような苦労をさせてはいけない。そのために正しい知識を持ち正しい指導をしなければという一心でした。
看護師の仕事と、レッスンと、勉強と。。。知らず知らず心身に負担がかかり、ある時大きく体調を崩し看護師は続けられなくなりました。
めまいと体力消耗で回復には時間がかかりましたが、自分の身体と心を両面から見つめ、その間も学びを続けながら少しずつ健康を取り戻していきました。
ハープとの出会い
そんなある時、テレビで「癒しのハープ」という番組を偶然観ました。
それは、キリスト教宣教師のキャロル・サックさんのお話しでした。
病気で末期を迎えた方のベッドサイドで、その方の呼吸に合わせてハープを奏でたり、刑務所で一人の方の為に演奏をされる活動が紹介されていました。
聖書の中でもハープはうつ病の治療に用いられたという記載もあり、古くから癒しの効果を持つ楽器ということでした。
それを見て何故だか、私も急に弾いてみたくなりました。
それまで全くハープのことなど考えたこともなかったのに、今も不思議です。
看護師として患者さんのベッドサイドで過ごした経験も、どこかで繋がっているのかもしれません。
それから、素晴らしい楽器とめぐり逢うことが出来、弾き始めました。
ピアノとはまた違う、広がりのある響きと、身体と触れていることで感じる振動がとても心地よく感じます。
ピアノと同じく、ハープにも正しい身体の使い方、弾き方が必要ということもわかりました。
ハープにも取り組むことで、また新たな視点から音と音楽が感じられています。
生徒さんのご成長
生徒の皆さんは、着実にご成長されていきました。
それぞれの感性を生かして、演奏も成長されています。
情感を持って、美しく演奏される生徒さん。お母さまも、練習を聴いて癒される。。と仰ってくださいます。
努力家で、コツコツと練習を重ね学校の伴奏でも活躍されました。
ひらめきタイプでリズム感がとても良く、演奏も生き生きとされる生徒さん。
以前はラストスパートに賭けてきた練習も、中学校以降はコツコツ取り組まれるようにもなり、音楽への興味も深まっています。
教室リニューアルへ向けて
これまで教室は多くの制限があるマンションの一室で、大きくは出来ませんでした。
この度、ご縁を頂き新しい土地で教室を開けることとなりました。
音楽室は音の響きを良く感じられる工夫があり、ゆったりとしたスペースも確保出来ました。
どなたさまにもお越し頂けますよう、車椅子での出入りも可能になるよう考えました。
皆さまとともに、心地よい空間と時間と、音楽の喜びをたくさん感じられる教室を作って参りたいと思います。
最後に。。。先生ってどんな人?
自分のことはなかなか客観的にはわからないものですが、いつも言われることは「ホワッとしているように見えて、芯はしっかりしている」という言葉です。
自分では、ホワッと出来なかったり、しっかりしきれなかったり。。と感じることの多い日々ですが、確かに、ホンワカするような気持ちと、自分の軸をしっかり持って立ちたいという気持ちの両方を持っています。
現代は、いつも言われるようにストレスの多い社会です。
そして、これからは個人の時代と言われています。
心に余裕をもって穏やかに。一方で、流されず、自分自身を大事に出来るように。。。
生徒の皆さんにも、そのようなかかわりが出来ましたら幸いです。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。